2017年4月6日

Lacan の墓にて

Jacques Lacan (1901 - 1981) の墓は,Paris の西北西約 50 km のところにある閑静な村 Guitrancourt墓地にあります.Paris 市内から車で 1 時間弱です.そこに所有していた別荘に,Lacan は頻繁に滞在しました.






わたしは,自身の分析の継続のために 2017年3月に一ヶ月間 Paris に滞在していた際,ふと思い立って,3月25日,Lacan の墓を訪れました.

墓地の入口から敷地の奥へ,なだらかな斜面を登って行きます.その一番高いところより少し手前の中央部分にふたつの墓が並んでいます.入口の方へ向かって左側が Lacan の墓です.その右側の墓は,Lacan の妻 Sylvia (1908-1993) のものかと思いきや,そうではなく,彼女の母親 Nathalie Maklès (1877-1960) の墓です.ちなみに,Sylvia の墓は,Paris 市内の Montparnasse 墓地にあるそうです.

今回の Paris 滞在中に急に Lacan の墓を訪れる気になったのは,わたし自身の分析の経過と無関係ではありません.ほかならぬ Lacan の夢を見たからです.Lacan と分析している夢です.

わたしは,日本にいて,自身が分析の経験にないときは,ほとんど夢をみませんが,Paris で分析の経験にあるときは,意義深い夢を見ることがあります.

今回見た或る夢のなかで,わたしは Lacan に分析を受けています.わたしの現在の分析家 Gérard Haddad との分析の際に寝椅子に横たわるのと同様に,夢のなかで,わたしは寝椅子かベッドに仰向けに横たわっています.

ちなみに,Lacan が用いていた寝椅子は,この Lacan の面接室の写真に見えるように,まったく背もたれが無く,ベッドのようです.




夢のなかで,わたしの頭の背後には,Lacan が座っています.実際の分析の際に Gérard Haddad がそうしているように.そして,夢のなかで,わたしは眠り込みます.Lacan は怒って,わたしを揺り動かして,目覚めさせます.分析の最中にわたしが眠り込んだので Lacan は怒ったのですが,わたしの頭のなかには「おいおい,これは夢で,今は睡眠中なのだから,眠り込んだって当然だろう」というような考えが浮かびます.しかし,同時に,若干の不安も感じます.そんな夢です.

この夢でかかわっているのは,明らかに filiation の問題です.親子関係にかかわる問いです.わたしの父は誰なのか?わたしは誰の息子なのか?それは,分析家に関して言えば,「この分析家は誰に教育分析を受けたのか?」という問いです.

わたしが Gérard Haddad を分析家に選んだのも,彼の著作『ラカンがわたしを養子にした日』のゆえです.その本の最後に語られる夢  Haddad Lacan の死後に見た或る夢 ‒ のなかで,Lacan Haddad にこう言います:「きみは,わたしの養子だ」.

日本語で「養子」と言うと「実子」との違いが注目されてしまいますが,フランス語では「養子」は « fils adoptif » です.たとえ養子ではあれ,とにかく fils[息子]です.

それに対して,Jacques-Alain Miller Lacan の gendre[娘婿,義理の息子]です.

Haddad が夢のなかで Lacan が「きみはわたしの息子だ」と言うのを聞いたのは,Jacques-Alain Miller との対立と葛藤の状況のなかででした.

fils adoptif[養子]対 gendre[義理の息子].どちらが正当な相続人ないし後継者なのか?

確かに Jacques-Alain Miller Lacan により遺産相続人と Séminaire 共著者に指定されましたが,しかし,彼は,Lacan の娘 Judith の夫として,つまり Lacan の家族の一員として,Lacan に分析を受けることはできませんでした.

誰が Lacan の教えの正当な相続人か?これは,わたしにとっても重要な問いでした.

夢のなかで,わたしは,Lacan に分析を受けて,彼の弟子(息子)のひとりとなることはできましたが,しかし,分析の最中に眠り込んで,Lacan の怒りを買い,不安を感じます.明らかに,夢のなかで,Lacan は,わたしにとって超自我を表しています.Lacan の怒りは,超自我の怒りです.

そのような怒りから自身を解放する必要があります.わたしが Lacan の墓を訪れる気になったのはそのような動機からだ,とその後の分析の経過のなかで明らかになります.

無神論の本当の公式は「神は死んだ」ではなく「神には意識が無い」である,と Lacan は言っています.神には意識が無い,つまり,神は何も知らない.

Lacan の墓のかたわらで,わたしはその公式を思い出しました.Lacan は今や,何も知らない.Lacan の教えの相続人や後継者が誰であろうと,彼の教えを誰がどうしようと,今や,Lacan は何も知らない.そんなことは,死せる Lacan にとって,どうでもよいことだ.Lacan の墓のかたわらで,わたしはそう感じました.今回の Lacan の墓参りの収穫です.

Lacan の墓のことを話したので,Freud の墓のこともちょっと話そうと思い,適当な写真を Internet で探そうとしたところ,2014年 月の或る新聞記事が目にとまりました.今まで全然気づいていなかったニュースです.


Freud の遺体は火葬に付され,その遺灰は,彼の妻の遺灰とともに,彼の収集品のひとつだった大きな古代ギリシャの壺に入れられ,London 北郊外の Goldersgreen の火葬場の敷地内に幾つかある納骨堂の建物のひとつのなかに収められています.わたしは,1985-1986年の Tavistock Clinic 留学を切り上げて,Paris に転居する直前,Freud の墓と Freud Museum を見学してきました.当時,彼の屋敷はまだ Museum として一般に公開されていませんでしたが,特別に見学を許可してもらいました.

Freud の遺灰を収めた壺は,上の写真のように,高さ 1.5 m くらいの柱の上に置かれており,その近くの壁に作りつけられた棚には,Anna Freud を含む Freud の子どもたちの遺灰を収めた金属製の箱が幾つか置かれています.

2014年 15日付の新聞記事によると,2013年大晦日の晩に盗賊が納骨堂に忍び込み,Freud の骨壺を盗み出そうとしたが,誤って落下させてしまい,壺は大破してしまったそうです.古代ギリシャの壺を骨董品として売り飛ばそうとしたのでしょう.床に撒き散らされた遺灰は,2014年元旦,火葬場の職員により回収されました.その後,Freud と彼の妻の遺灰がどのような容器に収められたのかに関しては,Internet では特に記事が見当たらず,不明です.ともあれ,以前のように簡単に誰でも Freud の墓(というか,骨壺)参りをすることができる,というようにはもはやなっていないでしょう.

骨壺を壊されて,Freud は怒っているでしょうか?そう想像する人もいるかもしれません.しかし,実際には,死せる Freud は何も知りません.死せる Lacan が何も知らないのと同様に.

ところが,死者の知に戦々恐々としている人々は少なくありません.特に,家父長主義者たちは.

家父長主義者たちにとって超自我を成すのは,祖霊,つまり「御先祖様」たちです.死せる先祖たちは,今生きている子孫たちのことを監視しており,子孫たちが何を為しているか,何を怠っているかについてすべて知っており,意向に背く子孫たちを処罰する.そのように思い込んでいる家父長主義者たちは,祖霊という超自我にがんじがらめにされています.

家父長主義者たちは,祖霊という厳しい超自我に服従する限りにおいてのみ,家督ないし遺産の正当な相続人として,存在することが許されます.祖霊を崇拝し,祖霊の意志に服従することは,家父長主義者たちにとって,自身の存在の可能性の条件です.日本,中国,韓国のいずれでも,事は同様です.

キリスト教でも,神はすべてを知っており,罪を犯した者らに罰をくだすではないか?と反論する人がいるかもしれません.しかし,それは,神の愛を識らない人々が抱く否定的な思い込みにすぎません.

神は,すべてを知り得るかもしれませんが,しかし,神は忘却してもくれます.「死んでも忘れない」というような怨みごとは言いません.

旧約聖書でも新約聖書でも,神は人間の罪を赦してくださることが強調されています.そして,いったん赦した罪のことを,神は忘却してしまいます.いったん赦された罪のことは,神の記憶から消し去られてしまいます.閻魔帳の記録のようにいつまでも消えないということはありません.

それは,神の愛のおかげです.人間が自身の罪を悔い,赦しを求めるなら,神は,慈しみ深く,罪を赦し,その罪のことを記憶にとどめてはおきません.

それに対して,神を識らない日本人,中国人,韓国人たちは,先祖が犯した罪,先祖が被った不正義を,決して忘れず,恐怖と怨念に囚われ続けます.日本人と中国人と韓国人の一種の道徳的サドマゾヒズムが,今も国際問題の解決を困難にしているだけでなく,日中韓の三つの国におけるキリスト教と精神分析に対する共通の抵抗となっているかもしれません.

神は忘れてくれますが,祖霊は決して忘れない.無慈悲なものです.

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