2016年3月3日

東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」 2015-16年度 第15回,2016年03月04日

Écrits p.27 の「帳消し不可能な負債」の問題へ進む前に,p.25 の « a letter, a litter » にしばしとどまりましょう.

« A letter, a litter, une lettre, une ordure. On a équivoqué dans le cénacle de Joyce sur l'homophonie de ces deux mots en anglais. »
[A letter, a litter, 文字,ゴミ.ジョイスの取り巻きたちは,それら二つの英単語の語音類似にもとづいて,語呂合わせをした.]

文脈に合わせて「語呂合わせ」と訳した équivoque は,「曖昧語音」です.英語では,letter と litter の二単語の音は近似しています.発話されつつある言葉のなかで発話者が letter ないし litter と言ったとき,発音が曖昧であれば,それらのいづれであるかは判別困難となります.

そのような語音曖昧性は,語呂合わせの言葉遊びの悦を可能にもしますが,而して,精神分析の臨床においては,解釈の可能性を提供します.発話された言葉に潜む曖昧語音をどのように聴き取るか,そこに解釈の可能性が存します.

解釈の可能性を孕む語音曖昧性における音声質料の連鎖としての言葉,それを Lacan は lalangue [ゲンゴ]と名づけることになります.

精神分析は,その臨床において,分析者(精神分析の患者)が面接において発話する言葉から出発します.聴き分けられ,書き取られたものとなる以前の言葉,lalangue : それこそが,精神分析の材料です.本源的に言って,精神分析は発話された言葉にかかわるのであり,文学作品などの文書や書物にかかわるのではありません.もっとも,応用の可能性はありますが.

ところで,わたしは « a letter, a litter » の語呂合わせは Joyce 自身のものだと思い込んでいたのですが,Lacan が Écrits p.27 に付している脚注により,実際にはそうではないことがわかりました.

Lacan は,Our Examination round his Factification for Incamination of Work in Progress という本をそこに挙げています.Joyce を個人的に知っており,Work in Progress [進行中の作業,作品]という名のもとにところどころに発表されていた Finnegans Wake (1939年出版)の諸断片を読んでいた者たちが1929年に出版した評論集です.当時23歳だった Samuel Beckett も寄稿しています.

「進行中の作業の incamination のための彼 [ Joyce ] の factification をめぐる我れらの検討」という表題に含まれている factification や incamination は,ジョイス的な新造語です.factification には fact [事実]やラテン語の facere [作る]に加えて,falsification [偽造]が読み取れます.incamination にはイタリア語の incamminare [歩ませる,導く]に加えて,incarnation [受肉]や insemination [種まき,受精]が読み取れます.

ともあれ,letter と litter の曖昧表現は,Our Examination... の末尾に収録された Joyce への「抗議の手紙」の表題に見出されます : A LITTER to Mr. James Joyce. 

Finnegans Wake という文学作品と言えないような何ものかを書きつつある Joyce へ向かって,敬意に満ちた「抗議」の表明として,ゴミ [ litter ] を投げつける代わりに送られた手紙 [ letter ] というわけです.

長いものではないので,全文を引用しておきましょう:

A LITTER to Mr. James Joyce

Dear Mister Germ’s Choice,

in gutter dispear I am taking my pen toilet you know that, being Leyde up in bad with the prewailent distemper (I opened the window and in flew Enza), I have been reeding one half ter one other the numboars of 
"transition" in witch are printed the severeall instorments of your "Work in Progress".

You must not stink I am attempting to ridicul (de sac !) you or to be smart, but I am so disturd by my inhumility to onthorstand most of the impslocations constrained in your work that (although I am by nominals dump and in fact I consider myself not brilliantly ejewcatered but still of above Averroëge men’s tality and having maid the most of the oporto unities I kismet) I am writing you, dear mysterre Shame’s Voice, to let you no how bed I feeloxerab out it all.

I am überzeugt that the labour involved in the compostition of your work must be almost supper humane and that so much travail from a man of your intellacked must ryeseult in somethink very signicophant. I would only like to know have I been so strichnine by my illnest white wresting under my warm Coverlyette that I am as they say in my neightive land "out of the mind gone out" and unable to combprehen that which is clear or is there really in your work some ass pecked which is Uncle Lear ?

Please froggive my t’Emeritus and any inconvince that may have been caused by this litter.

Yours veri tass

Vladimir Dixon

御覧のとおり,手紙の書き手は,複数の国語にまたがる曖昧表現を駆使する Finnegans Wake における Joyce の文体を,みごとに模倣しています.

ジョイス研究者たちは長い間,Vladimir Dixon は Joyce 自身の偽名であろうと推測してきました.しかし,1979年の James Joyce Quarterly 誌 pp.219-222 に発表された Who Was Vladimir Dixon ? Was He Vladimir Dixon ? という短い論文において,Thomas A. Goldwasser は Vladimir Dixon (1900-1929) の伝記的事実を紹介しています.彼の父は英国出身のアメリカ人,母はロシア人です.彼自身は,モスクワ近郊で生まれ育ち,高等教育は USA で受けました.彼は短い生涯に幾つかの詩集や評論を書きましたが,それらは,この Joyce への Litter 以外,すべてロシア語で出版されました.ジョイス研究者たちが彼のことを知らなかったのは,そのためです.

a letter, a litter. 手紙ないし文字,すなわちゴミ.Vladimir Dixon においては letter は「手紙」ですが,それは文学作品全体,書物全体を差し徴し得ます.

Lacan が1966年の Écrits の出版の際に発した Witz : poubellication (Écrits, p.364) も,« a letter, a litter » に由来すると思われます.

publication [出版]と poubelle [ゴミ容器]との重ね合わせに存する語呂合わせ poubellication を,Lacan は,論文や本の執筆と出版に執着する精神分析家たちを揶揄するために用います.精神分析においてかかわる主体の存在の真理は如何なるものかを徹底的に究明しようとするかわりに,出版物をとおして「我れは真理を知っている」と宣伝しようとする下司的売名行為は,精神分析家にはふさわしくありません.

より本質的に,Lacan において,lettre [文字]は,その質料性における signifiant [徴示素]のことです.ゴミのように廃棄され,排斥され,閉出された徴示素: それは今や,ex-sistence [解脱実存]の在処,すなわち実在の位へ位置づけられ,そして,そこに固執し,存続し,存有します.ゴミとしての徴示素は,実在的になります.すなわち,意味の外 [ hors sens ] のものとなります.

無意識の構造は,ひとつの徴示素の源初排斥 [ Urverdrängung ] により形成される: 1950年代,Lacan は,Freud にもとづいてそう思想します.源初排斥されるひとつの徴示素,それは phallus です.「性関係は無い」の学素として思考されることになる phallus です.

東京ラカン塾精神分析セミネール「文字の問い」 第15回


Lacan の Le séminaire sur « La Letter volée » の読解を継続します.

日時 : 2016年03月04日 19:30 - 21:00,
場所:文京シビックセンター(文京区役所の建物) 5 階 D 会議室.

参加費無料.事前の申請や登録は必要ありません.

テクストは各自持参してください.テクスト入手困難な方は,小笠原晋也へ御連絡ください : ogswrs@gmail.com

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